黒沢健一氏の死とL⇔Rというバンドについて

私がL⇔Rに出会ったのは中学三年の時でした。 

 

たまたま親の運転する車のラジオから流れてきたのがきっかけでした。その時めちゃくちゃいい曲と思ったわけでもなく、なんとなく気になってて、パーソナリティの「エルアールでした!」みたいなところだけ聞き取れたんですよね。その時はエルアールがバンドなのか曲名なのかも分かりませんでした。当時はインターネットなんてなかったので調べることもできませんでした。

 

その後CDショップに行った時、L⇔Rのアルバムを発見しました。あっ!と思い、迷った挙句購入しました。あのラジオを聴いたすぐだったので、多分あの曲も入っているだろうという思いで。

 

入ってませんでした笑

 

中学三年生にとってアルバム価格3000円は大金です。当時の1ヶ月分のお小遣いがいくらかは忘れましたが1ヶ月分前後というところだと思います。

でも買ったからには聴くしかありません。来る日も来る日も聴いてました。これ以外には槇原敬之のアルバムしか持ってませんでしたし。

「Land of Riches」というアルバムを聴いたことがある人なら分かるかもしれませんが、中3にとってはクセが強すぎます。しかもなぜか無駄に2枚組で6曲ずつ分かれてました。何の意味があったんだ。 

LAND OF RICHES

LAND OF RICHES

 

 

さて、来る日も来る日も聴いてると、あれ?このアルバムなかなかいいのでは?となってくるんですよね。特に「EQUINOX」はL⇔Rの中でも一番好きな曲です。


L⇔R エルアール / EQUINOX [イクイノックス] (Reverse)

 

すっかりL⇔Rの虜になった私です。学校中で宣伝しますが誰にも理解してもらえませんでした。その頃には過去に出たアルバムもほぼ全部揃えました(ファーストは廃盤で手に入りませんでした)。ちなみにラジオから流れていた曲は3枚目のアルバムの「恋のタンブリングダウン」という曲でした。

 


L⇔R / 恋のタンブリングダウン-TUMBLING DOWN-

 

高校生になってからもL⇔Rの宣伝をしました。このころはちょうどシングル「REMEMBER」が発売された頃です。当然のように同級生に聴かせたところ、なかなかいい反応が返ってきました。うちのクラスは男子が6人しかいない特殊なクラスだったのですが、ほぼ全員がL⇔Rを知っているという状況になりました。

そして次に発表されたのは「HELLO,IT'S ME」です。ポッキーのCMにも使われそこそこのヒットとなりました。この時のポッキーのCMはポッキー四姉妹という設定で、後にポッキー四姉妹物語という映画が劇場公開され、わたしもわざわざ劇場まで足を運びました(クソつまらなかったです)。

 

そして、中高生はみんな見てる月9、「僕らに愛を!」の主題歌にかの有名な「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」が使われたのです。この曲をドラマの中で聴いたときは衝撃でした。ついにL⇔Rが売れてしまう!と思いました。


KNOCKIN' ON YOUR DOOR/L⇔R

実際にこの曲はオリコン1位になり、メディアの露出も増えました。音楽番組や笑っていいとも!にまで出演し、このままL⇔Rはヒットメーカーになるのでは?と思われました。

 

ご存知のように、そうはなりませんでした。「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」の次にリリースされたのは「BYE」という曲です。個人的にはまあ良くも悪くもない曲でした。音楽番組で印象に残ってるのはvo,黒沢健一の「L⇔Rは相変わらず楽しくやってるよって曲です」という言葉が印象的でした。その時は「もっとヒット後に出すべき曲があるだろ!」とか勝手に一人で怒ってました。

現に、この曲はセールス的には思ったほど振るわず、その後の「DAY BY DAY」(この曲は結構好き)もあまりヒットしませんでした。

その後もシングルやアルバムを出しましたが、あまり売れず、世間的には「KNOCKIN' ON YOUR DOOR」だけの一発屋という認識だと思います。

 

さて、そんな彼らを私が最後まで熱狂的に追いかけていたのかというと決してそうではなく、L⇔Rを知ってしばらく経った頃に「渋谷系」というジャンルを知ることになります。

そこからは、スパイラルライフオリジナルラブピチカートファイブフリッパーズギターなどなど、渋谷系と呼ばれる音楽を聴きあさり、むしろそちらの方を積極的に掘り下げるようになりました。二十歳前後にはお決まりのミッシェルガンエレファント、スーパーカーナンバーガール、プリスクールなどを聴いてました。初めてちゃんとしたライブに行ったのもミッシェルだったと思います。

ライブの楽しさに目覚めた私は社会人になってからも仕事が終わってからや休日に名古屋のライブハウスに行きまくる生活をしてました。

 

一方そのころmixiL⇔Rコミュで「L⇔RのDJイベントしませんか?」的なトピックが盛り上がっており、時々DJの真似事をしてた私は「DJやりたいです!」と手を挙げ、やらせてもらうことになりました。

場所は東京です。本当にL⇔RのDJイベントなんて成立するのかなと思ってましたが、蓋を開けてみれば会場はかなりパンパンで、冬なのに汗ばむくらいでした。全員がL⇔Rを知ってる状況なので、かける曲かける曲大合唱になるという謎のイベントでした笑。やっぱり愛されてたバンドだったんだなと再認識できました。

 

そんなイベントから少し経った時、黒沢健一のソロライブの告知を目にしました。

L⇔Rで唯一後悔しているのが、彼らのライブを一度も見られなかったことです。見るチャンスはあったはずなのですが、田舎育ちで周りにもそんな環境がなかったため、ライブ、コンサートに行くという発想自体がなかったんですよね。

ソロライブは名古屋の今池ボトムラインというライブハウスでした。決して広くないライブハウス。ソロなのに6000円という高額なチケット。ライブハウスなのにフロアに並べられたパイプ椅子。お客さんも自分よりちょっと上くらいの女性が殆どでした。格好もおおよそライブハウスに来るような感じではなく、その辺でショッピングをするような格好の人が多かった気がします。

来るべきだったのか、ライブが始まるまでモヤモヤしてました。

 

やがてライトが落ち、黒沢健一が登場しました。

 

一曲目を聴いた時、いろんなことを思い出しました。

「BYE」がリリースされた時の「相変わらず楽しくやってるよ」ってのは本当に本当だったんだなと。

彼らは何も変わらなかった(音楽性とかそういうことではなく)のに、周りが勝手に騒ぎ立ててそのうちいつのまにかどっかに行って、そういえばそんなのもいたねなんて言ってたんだなと。

一曲一曲を本当に楽しそうに歌う黒沢健一を見て、自分がL⇔Rを好きになった理由がようやくわかった気がしました。

 

そんな彼が脳腫瘍になったということを聞いたのは、彼の弟でありL⇔Rのメンバーでもある黒沢秀樹のツイートからでした。

私は散々ネタ混じりに病気が治ったらその勢いでL⇔R再結成してくれ!とか言ってました。実際に再結成されたら場所がどこだろうが行くつもりではありました。

 

そんな黒沢健一が先週亡くなりました。病気発表からすぐという印象でした。その時はびっくりはしましたが、そうか…という感想でした。

 

しかし、今この記事を書きながらいろんなことを思い出して涙が出てきました。なんの涙なのかよく分かりませんが、どっちかというと悲しみというより彼に対する感謝の涙という方が大きい気がします。

本当にL⇔Rに出会ってなければこんなに音楽好きになることもなかったし、音楽を通して知り合った友達と出会う機会もなかったと思います。彼らに出会ってなければ全く別の人生を歩んでた可能性もあります。

 

そう考えると黒沢健一には感謝しかないです。人生を変えるようなバンド、Twitterで1ツイートで終わらせることができないような人物に出会えたことに感謝しています。あなたに会うことはできなくなりましたが、L⇔Rの曲を通していつでも会うことができますよね。

 

黒沢健一さんのご冥福をお祈りいたします。

 

www.k-kurosawa.com

L⇔R - Wikipedia